二人のルーズヴェルト 2014 8 10

今日も、江崎道朗氏の著書から、興味深いところを紹介しましょう。

 アメリカは、この100年、二つの対日政策で揺れてきた。
一つは、「大陸国家(ロシアや中国)の膨張政策の防波堤として、
日本を活用すべきだ」というものだ。
 日露戦争の時、セオドア・ルーズヴェルト大統領が、
この「ストロング・ジャパン(強い日本)」政策を採用した。
 もう一つは、「強い日本は、アジアの脅威であるばかりでなく、
アメリカの権益を損なう存在だ」というもので、
日中戦争の時、フランクリン・ルーズヴェルト大統領が、
この「ウィーク・ジャパン(弱い日本)」政策を採用した。
(引用、以上)
 こうした二つの対日政策とベノナ文書を見ると、
実に興味深いものがあります。
「べノナ」文書(米軍諜報部が解読した旧ソ連情報部の秘密文書)
(以下は、ウィキペディアから引用)
 1995年、ベノナ(ソ連暗号解読プロジェクト)が機密扱いをはずされ、
ソ連の暗号通信の内容が明らかになった結果、
ソ連のスパイ行為は、マッカーシーの見積もりよりも、
さらに大規模なものだったことが判明している。
 ベノナは、特にソヴィエトのスパイに色々な方法で協力した、
合衆国の市民、移民、そして永住者を含む少なくとも349人の人々について言及している。
 マッカーシーは、ベノナ秘密情報への接触はなく、
彼の情報は他の情報源からだと信じられている(FBIのフーヴァー長官からだという)。
 ベノナは、マッカーシーにより調査された、
ある人物達が、事実、ソ連のスパイであることを明らかにしている。
 たとえば、メリー・ジェイン・キーニーは、
マッカーシーにより単に「共産主義者」とされているが、
実際には、彼女も、その夫もソ連のスパイだった。
 マッカーシーにより名指しを受けたロークリン・カーリーは、
ルーズヴェルト大統領の特別顧問だったが、
ベノナによりソ連のスパイであることが確かめられた。
(引用、以上)
 マッカーシー(1908〜1957)は共和党の上院議員で、
1950年に国務省に潜む共産党員の名簿を入手したと発言し、
一躍、世界の注目を浴び、
彼の反共産主義運動は「マッカーシズム」と呼ばれました。
(参考文献 ジョセフ・マッカーシー著「共産中国はアメリカがつくった」)



































































スマートフォンのトップページへ